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『藤岡屋日記』
近世史では結構有名な史料で、母校の図書館にも確かあったように記憶しております。が、手に取ったことすらありません。
今日、図書館で見つけて慶応3~4年のそれを読んでみたのですが、めちゃくちゃ面白いじゃないですか!江戸の書肆の日記にしては公儀のことに詳し過ぎ!
鳥羽伏見の戦に関しては翌日には大坂から手紙が届いているんです。凄い。目茶目茶頑張ったんですね、早飛脚。
で、会津の嘆願書の写しなんかも載っていて垂涎物でした。ところがその嘆願書の写しに孝明天皇からの御宸翰の写しも一緒に載ってるんですが、これの出所は一体何処?!
明治になって、山川浩だか健次郎だかが窮乏する会津松平家に対する援助の切り札として、明治政府側に「こういう史料があるんですよ」と明かしたのがこの御宸翰が世に出る切っ掛けだと思っていたのに、既に慶応4年2月のこの時期に江戸の書肆(商人)の知るところとなっているなんて!
これが当時世間の知るところとなっていたのなら、会津が朝敵である道理が通らないじゃないですか。うーむ、こんな有名な史料にこれが載ってるってことは、既にそういう研究はなされている筈なのですが…。何処かにそういう論文とかないかしら。

会津の件は今後調べるとして、慶喜に関する余りに面白過ぎるネタも書かれていました。
慶応4年1月に大坂から江戸へ帰る船中で榊原謙吉に二分金を渡して鰻の蒲焼を買わせた話はとあるサイトで読んだのですが(榊原は自腹でもう二分金足して1両で鰻を買ったんだとか)、なんと江戸へ戻ってから鮪を献上させ(勝手に下の者が献上したのかもしれませんが)身は味噌漬けにし、アラをねぎまにして食したそうです。そして寝具が無いのでフランケ(ブランケットのことと思われますが)2枚でその夜は寝たんだとか。
流石慶喜!鰻に鮪に毛布2枚か!楽し過ぎます!
それにしてもこの情報の出所も知りたいものです。

『七年史』の次は『藤岡屋日記』に決まりです。しかし果たして何時借りられるのか…。(『京都守護職始末』ですら2週間で読めていないのに…。がくり)
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