携帯写真と映像感想。気紛れ更新ご容赦願う。
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『七年史』
北原雅長著 日本史籍協会編
挫折しました…。
1週間(1日15分程度ですが)で読めたのがたった160ページとは…。がくり。
何と言うか「木を見て森を見ず」なところがあって、素文(返り点、送り仮名無し)の漢文を読むのに必死で全容が全然掴めない…!とほほ。
容保公、上洛して孝明帝から緋の御衣を下賜されて、正月に魚を献上してました。(←まだ其処かい)
1回延長貸出したためもう延長できないので、泣く泣く返却しました。来年頑張ろう。

ところで文久2年10月頃、永井尚志(当時京都町奉行)が幕府へ送った書状に『京都守護職始末』にもあった「京都守護職を二人制にして云々」の件が載ってまして。どうやら朝廷が幕府に対抗する手段を模索したんじゃないかと考えられます。
永井は「朝廷は幕府に対して疑念を抱いているように見受けられるが決してそうではなく、親藩にのみ京都守護を任せるのは不公平だと考えてのこと」と書いていますが、元々徳川政権は親藩譜代がその中心であって、外様は参画出来なかったんじゃないかと思うのですが。
島津久光の京都守護職就任を止めるのに永井も「家督でも無い者に京都守護職を任せるとすればそれ相当の重官高禄を与えなければならず、それは諸藩が黙ってはいまい」と必死。
うーん、苦労性永井尚志。
永井が京都へ赴任したのは、容保が守護職拝命に当たって幕府から命じられた人選によるものらしく、要するに容保は永井と仲良しさん(←一部誤解あり)だったってことで。
慶喜の心配するより容保の心配して欲しかったなぁ。<永井"B作"尚志


『新選組!スペシャル』の感想は長くなりそうなんでまた後日。
総集編じゃなくてスペシャルなのねー。ふむ。
一言だけ突っ込んでおくと。
「(名も無い)桑名藩兵が出て桑名藩主が出ないっちゃどゆこと!?」
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