携帯写真と映像感想。気紛れ更新ご容赦願う。
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今年最後の。
夕陽です。
今日は本当に寒くて初雪が降りました。その雪も午後には雨に変わって、夕方には夕陽と夕焼けが見られました。明日は初日の出が拝めるかも。来年は穏やかな年でありますように。
今年もやはりジャニーズのカウントダウンで年が変わるようですよ。それではよいお年を。


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雪が降る前に。
暖かいと言われる今年の冬ですが、やっぱり寒い時は寒いんです。
ここ2,3日は急激に寒くなってきましたがまだ雪は降っていません。
が、明日はどうやら雪模様。
うー。大晦日に初雪ですか。外に出なきゃならないときに限って降雪だなんて。とほほ。

雪が降る前に撮った光の雪。この頃はまだ手袋もマフラーも要らなかった…。
心に夢を君には花を。
本館の写真頁はある程度枚数がないと更新できないけれど、こっちでは1枚でもOK(寧ろ1枚の方が見易い)なので、比較的気軽に更新できるのかもと思い、先日図書館へ行ったついでに撮って来ました、八重の椿です。
椿って生垣にするようなイメージがあって低木だと思っていたのですが、これは3mほどある高木(椿を見上げて撮るのは多分初めてですよ(笑))でしかも八重の白椿。
残念なことに全体を撮っていないのです。うーむ勿体無いことをした…。
遠目に見ると白いふわふわした綿がくっ付いているようで、可愛かったんですよー。
『幕末恋華 新選組』
とある情報筋(笑)によると容保公が出る(←お化けかい)らしいです!
慶喜や孝明帝、中川宮までいるそうです。なんつーマニアックな恋愛ゲームなんでしょうか。新選組ファンじゃなくて佐幕マニア向けでしょう、これわ。
やーん、容保公がいると聞いて俄然欲しくなってしまいました。(相変わらずバカ…)
出来れば筒井容保声希望で!あの声で「励め」と言って欲しいです!(本当にバカです…)
因みに公式サイトでは主要キャラの声が聞けます。私は斎藤さんの声が一番馴染んだかな。(三木眞一郎はイイですね!)
置鮎さんはダメでした…。皆川さんもダメでした…。(どー頑張っても部長とリョーマに聞こえてしまふ…_| ̄|○)
あ、山崎さんの名前直ってた…。(烝が蒸になってたのです。誰か突っ込んだのかしらん(笑))


京都観光についてネットで調べていたらとあるサイトで小耳に挟んだ話。(ネットで小耳に挟むのかとか突っ込まないように)
元治元年頃、会津藩が岡崎辺りに練兵場を設けて、訓練していたそうです。
岡崎と言えば今で言う平安神宮辺り。当時平安神宮はないから何があったんだろうと先日京都で衝動買いした京都時代MAPで調べてみたら、広大な空地でした。黒谷からも近いし(因みに越前松平屋敷と彦根井伊屋敷も近い。なんだか意味有り気…。ふふん)練兵には打ってつけでしょう。
で、京都守護職屋敷門が平安神宮近くに移築されたのはこの辺りの経緯からなのかなー、なんて安直に考えてしまいました。
京都守護職屋敷が京都府庁になったのは明治元年のいつ頃なのかは解りませんが、今の京都府庁旧本館は今年竣工100年だそうなので、明治元年~37年は守護職屋敷を使っていたのかもしれません。
でも朝敵とされた会津藩の建築物を新政府が使うかなぁ。況してや遺構としてわざわざ移築してまで残すかなぁ。という疑問が無いではないですが。
うーん、京都国際ホテル近くに移築された正門も併せて、そういったことを調べてみたいと思いました。(←思うだけならタダだしー)
『七年史』
北原雅長著 日本史籍協会編
挫折しました…。
1週間(1日15分程度ですが)で読めたのがたった160ページとは…。がくり。
何と言うか「木を見て森を見ず」なところがあって、素文(返り点、送り仮名無し)の漢文を読むのに必死で全容が全然掴めない…!とほほ。
容保公、上洛して孝明帝から緋の御衣を下賜されて、正月に魚を献上してました。(←まだ其処かい)
1回延長貸出したためもう延長できないので、泣く泣く返却しました。来年頑張ろう。

ところで文久2年10月頃、永井尚志(当時京都町奉行)が幕府へ送った書状に『京都守護職始末』にもあった「京都守護職を二人制にして云々」の件が載ってまして。どうやら朝廷が幕府に対抗する手段を模索したんじゃないかと考えられます。
永井は「朝廷は幕府に対して疑念を抱いているように見受けられるが決してそうではなく、親藩にのみ京都守護を任せるのは不公平だと考えてのこと」と書いていますが、元々徳川政権は親藩譜代がその中心であって、外様は参画出来なかったんじゃないかと思うのですが。
島津久光の京都守護職就任を止めるのに永井も「家督でも無い者に京都守護職を任せるとすればそれ相当の重官高禄を与えなければならず、それは諸藩が黙ってはいまい」と必死。
うーん、苦労性永井尚志。
永井が京都へ赴任したのは、容保が守護職拝命に当たって幕府から命じられた人選によるものらしく、要するに容保は永井と仲良しさん(←一部誤解あり)だったってことで。
慶喜の心配するより容保の心配して欲しかったなぁ。<永井"B作"尚志


『新選組!スペシャル』の感想は長くなりそうなんでまた後日。
総集編じゃなくてスペシャルなのねー。ふむ。
一言だけ突っ込んでおくと。
「(名も無い)桑名藩兵が出て桑名藩主が出ないっちゃどゆこと!?」
『世界ふしぎ発見!』
次回(新春1/8)は「戊辰戦争外伝 海を渡った幻の会津国」だそうです。
この番組、新作映画に関連した話題を結構取り上げているので「『北の零年』かな?」と思ったのですが、あれは確か徳島藩の話のはず。公式サイトへ行ってみたらシュネルでした。
平松シュネルとあったのでシュネル兄の方でしょうか。おけいちゃんも出るのかしらん。
なんにしてもどんなエピソードが聞けるのか楽しみです。
19世紀のサンフランシスコって言えば……ゴールドラッシュ?(←安易な)
『華岡青洲の妻』
1月21日(金)から放送開始のNHK金曜時代劇。
主役(華岡青洲の妻)は和久井映見ですが、華岡青洲役が谷原章介さんなのです!本屋でTVガイド立ち読みして、もんどりうって倒れそうでした。(笑)
うわー。あの声が!あの声がまた聞けるのですね!しかも和服髷姿で!
うわー。うわー。もーどーしよー!(←何をどうすると言うのだろう)
谷原さんと言えば私の中ではもう時代劇役者さんなのです。
あの人がかっしー(=伊東甲子太郎)を演じたお蔭でかっしー像ががらりと変わりましたから。(その同類項がオダジョー演じる齊藤一)
まあ『華岡青洲の妻』は夫を献身的に支える妻と、女(嫁姑)の葛藤がメインですから、谷原さんは仕事に没頭するちょっとヌケた男役な気がしますが…。

実は『義経』も割と楽しみにしていたりします。
阿部寛の平知盛とか高橋秀樹の藤原秀衡とか。
阿部ちゃんは以前大河に出ていたとき老中役で裃姿がカッコよかったんです。(作品忘れましたが、裃着ていたってことは江戸時代モノだったのでしょう)

はっ!そう言えば『大化改新』の中臣鎌足はV6の岡田君なんですよねー…。
なんかNHK、やたらジャニーズ使ってるのは視聴者に対する媚なんだろうかと穿った見方をしてしまいます…。
『徳川慶喜家にようこそ』
徳川慶喜家にようこそ
徳川慶朝著 文春文庫

徳川慶喜直系の子孫(曾孫)の方のエッセイ。(因みに表紙は晩年の慶喜)
随分前に買って半分ほど読んだのですが、殆どご自身のことだったので余り面白くなくてうっちゃってました。(苦笑)
この程完読したので感想をば。
「へぇ、そうだったんだ」と思う事柄が色々沢山ありましたが、一番「へぇぇぇ」だったのは著者のご母堂が会津松平家から嫁がれたということ。まさに「へぇ~」でした。
慶喜の孫と容保の孫が結婚されたのですねぇ。当時はやはり感慨深く思う人もあったようですが、ご当人はそうでもなかったようです。
慶喜家と会津松平家は実はご近所だったと言うのも「へぇ~」でした。(会津松平といっても維新後は東京小日向六天町にお住まいだったのです)
松平の家から慶喜家の庭が見えたとか。へぇ~。(←こればっかり)
そして徳川の徳の字は本当は「」(横棒が一本多い)なんだそうです。
へぇ~。(←シツコイ)

ところで今朝高松宮喜久子妃が亡くなられたそうですが、妃殿下は慶喜の孫で著者の伯母に当たる方です。
数年前に出版された『徳川慶喜家の子ども部屋』は妃殿下の妹君榊原喜佐子さんが書かれた物で、上流階級でありながら思いの外質素な暮らしぶりを面白く拝読した記憶があります。
この機会に喜久子妃の著書もいくつか読んでみようと思います。

余談ですが、私は慶喜をいつも「けいき」と読んでしまうので正しい読み方を時々忘れます。(えーと、よしのぶ、でしたっけね?(苦笑))
『京都守護職始末』
京都守護職始末山川浩著 平凡社東洋文庫

1、2巻を3週間かかって読み終えました。(←時間かかり過ぎ…)
幕末会津藩家老山川大蔵(浩)の手記。
と言いつつ、朝廷・幕府と守護職との間で遣り取りされた書簡や詔、上申書、奉書などを多数引用して「会津藩(松平容保公)はこんなに頑張ったんだよ!」と主張する、山川兄弟(兄浩、弟健次郎)の汗と涙の結晶。(かどうかは定かではない)

本文は現代語訳してあるのですが、引用の史料は読下し文なので候文の上、主語がなかったり長文過ぎて主語が変わっていたりしてなかなか理解に苦しみました。
基本的には史料なので著者の主観はあまり見られないのですが、時々本文に垣間見える本音が楽しいです。特に慶喜に対しては物凄く辛辣。(笑)
京都の情勢に疎い在府の幕閣と朝廷との板挟みになって右往左往する容保公が気の毒でした。なんか病気ばかりしてるし。
あれだけ病弱で床に臥してばかりいて再三辞意を表したのに、それを幕府や朝廷がを許可しなかったのは、容保が有能な幕吏だったからと言うよりは他に人材がなかったからと言う理由が妥当な気がします。誠実では有ったけれど、決して政治家ではなかったと思いますから。
そういった意味で、時勢を読むことに長けた、政治家だった慶喜とは上手くやっていけなかったのでしょう。

ところで、容保が京都守護職を拝命した直後、幕府の親藩が守護職を専任することを嫌った堂上(公卿)衆に、守護職を二人制にして島津三郎(久光)を充ててはどうかという意見があったそうです。
これに対し会津藩内では「無位無官の島津久光と主君(容保。当時正四位下左近衛権中将)とが同列に序されるのは納得できない」と言う意見が大半だったのですが、容保は「朝廷と幕府とに利益があるのなら官位は関係ない。三郎だろうが四郎だろうが誰が来ようが良いではないか」と言ったとか。
凄いツボにハマってしまいました!
(大河ドラマの)筒井容保に言わせたい台詞ですよ!(笑)
まさか容保には「三郎だろうが四郎だろうが」なんてウィットに富んだことは言えないだろう(笑)と思いつつ、山川兄弟は「三郎だか四郎だか知らねーが容保公の至誠に敵う者はいやしねーよ!」とか思ったに違いない、なんて考えてしまいました(笑)。間違いない。
他にも、過激尊攘派による容保暗殺の噂が流れた時、御所から黒谷までの道々に在京会津藩士がこっそり隠れて護衛してたって話もなんだか微笑ましくて…。(←微笑ましいっつーモンでもないでしょうが)
容保公、藩士から愛されていたのねーって。(←や、当時はそれが当たり前で、愛されていたとかそういうモンでもないでしょうが)

遠山茂樹氏の解説もなかなか読み応えがありましたが、初版の値段が450円だったことに時代を感じました…。(現在は確か2400円くらい。しかも出版元で長期に渡り品切れ中。再版する気はないのか…)
リンク/管理人の本館と連絡先
管理人運営の写真展示サイト。
御用の方は本館内のメールフォームから若しくは
heavenlyblue_sky☆yahoo.co.jp(☆を@に変えて下さい)まで。
青空への梯子段~a view of heavenly blue~

2004/12/16(木) リンク│ トラックバック(-) コメント(-)
スマステーション 近藤勇処刑前夜新選組隊士集合SP
のビデオを見ました。(←生放送の臨場感が台無し)
中継でもビデオでもいいから筒井君とオダジョーが見たかった!
香取君が行った新選組縁の地は殆ど行っておりますが、やっぱりまた行きたくなってしまいました。
京都ツアー、2月辺りにまた決行しそうです。(オフにしたら付き合ってくれる人いるかなー…)
オープニングでチラッと出た金戒光明寺、もっとちゃんと見せてほしかったー!
近藤と芹沢が松平容保に謁見した方丈で香取君が上段に向って平伏していましたが、あの時もきっと彼には何か来るものがあったのではないでしょうか。そうであって欲しいです。

クイズは殆ど解りましたが、八っつあんの死因が虫歯って…!
そして山崎の水葬シーンが予算の都合でカットされたことにはよろめいてしまいました。(三谷さんのリップサービスかもしれないけど(笑))

それにしてもずっと髷に着物姿を見てきた人たちのスーツ姿ってなんだか違和感がありますね。
香取君やぐっさんはお昼のバラエティでいつも見ているのでそうでもないのですが、勘太郎君や吉弥さん、小林さんは初見なので変な感じでした。
そして香取君も言っていましたが、耕史君のテンションの低さと堺さんの髭が気になって気になって…。(笑)
『藤岡屋日記』
近世史では結構有名な史料で、母校の図書館にも確かあったように記憶しております。が、手に取ったことすらありません。
今日、図書館で見つけて慶応3~4年のそれを読んでみたのですが、めちゃくちゃ面白いじゃないですか!江戸の書肆の日記にしては公儀のことに詳し過ぎ!
鳥羽伏見の戦に関しては翌日には大坂から手紙が届いているんです。凄い。目茶目茶頑張ったんですね、早飛脚。
で、会津の嘆願書の写しなんかも載っていて垂涎物でした。ところがその嘆願書の写しに孝明天皇からの御宸翰の写しも一緒に載ってるんですが、これの出所は一体何処?!
明治になって、山川浩だか健次郎だかが窮乏する会津松平家に対する援助の切り札として、明治政府側に「こういう史料があるんですよ」と明かしたのがこの御宸翰が世に出る切っ掛けだと思っていたのに、既に慶応4年2月のこの時期に江戸の書肆(商人)の知るところとなっているなんて!
これが当時世間の知るところとなっていたのなら、会津が朝敵である道理が通らないじゃないですか。うーむ、こんな有名な史料にこれが載ってるってことは、既にそういう研究はなされている筈なのですが…。何処かにそういう論文とかないかしら。

会津の件は今後調べるとして、慶喜に関する余りに面白過ぎるネタも書かれていました。
慶応4年1月に大坂から江戸へ帰る船中で榊原謙吉に二分金を渡して鰻の蒲焼を買わせた話はとあるサイトで読んだのですが(榊原は自腹でもう二分金足して1両で鰻を買ったんだとか)、なんと江戸へ戻ってから鮪を献上させ(勝手に下の者が献上したのかもしれませんが)身は味噌漬けにし、アラをねぎまにして食したそうです。そして寝具が無いのでフランケ(ブランケットのことと思われますが)2枚でその夜は寝たんだとか。
流石慶喜!鰻に鮪に毛布2枚か!楽し過ぎます!
それにしてもこの情報の出所も知りたいものです。

『七年史』の次は『藤岡屋日記』に決まりです。しかし果たして何時借りられるのか…。(『京都守護職始末』ですら2週間で読めていないのに…。がくり)
備忘録。
12/11 スマステーション
12/12 『新選組!』最終回
12/15 その時歴史が動いた『それからの新選組』
12/20 コナン2hスペシャル
12/24 金曜ロードショー『天空の城ラピュタ』
12/26 『新選組!』総集編
12/30 NHKあなたのアンコール2004

この間、週末ごとにマストアイテムが目白押し(総司掃除とか年賀状とか)ですが。忘れるなよー!自分!

映画も以前はよく観ていたのに、足が無くなったものだから映画館と随分ご無沙汰です。余り観たいと思える作品も無いですし。
強いて言えば『ターミナル』と『北の零年』くらい。
でもビデオでもいいかな、と思えてしまう程度です。
因みに宮崎作品はハコで観たことがありません。
イヤ、嫌いとかではなくただなんとなく。
(ハウルもビジュアル的にはカッコいいと思ったけれど、やっぱり声優さんに声を当てて欲しかったなと思う冬の夕暮れ。(←まだ暮れてない))
やっと出来ました。
カスタマイズ終了~。
取り敢えず形から入る質なので、少しでも気に入らないところがあると気になって仕方ないのですが、流石に疲れました…。
暫くタグは見たくないかも。よろり。
テンプレート利用規約
どのテンプレートもカスタマイズは自由にして頂いてOKですが、著作権は放棄しておりません。また、カスタマイズ後の不具合については、質問されてもお答え出来かねますのでご了承下さい。

以下の事項はNGですのでご留意ください。

×1、背景画像、その他の画像の加工すること
×2、背景画像、その他の画像を他のテンプレートで利用すること
×3、画像、配色等を変更しただけのテンプレートを共有登録すること
×4、上記(画像、テンプレート)の二次配布

言わなくても解ることだろうと思っておりましたが、自分の認識が一般的に浸透しているものではなく、特に3については以前より頻繁に見受けられましたので、明文化しました。
宜しくご理解ください。



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